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パンを焼くのが趣味です。スイーツを焼くのも好き。とにかく膨らむものが好きです。
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まだ最終日の今日は始まったばかりなんだけど、どうせ寝て終わってしまうと思うから。

今日も日記的に更新。

なんだか熱が出たりだるかったりするお休みです。
昨日も一日の半分は寝てました。
これまでもなんとなくそういう日があったかもしれないのですが、体温計がどっかに行っちゃってて、体温測りもしませんでした。今回観念して新しい体温計を買って測ってみたら、やっぱり発熱。
あ~あ、早く治らないかなぁ。


ところで、すごくローカルな話。山形に「ブーランシェリータナカ」というパン屋さんができました。あまりにも通信速度が遅くてソースコード貼れないのですが、「天然酵母パンの教則本」の著者がしているパン屋さん「風見鶏」で修業をしてきた方なんだそうです。
住所とか、ネットがちゃんとしていないので検索できず、でも先日、ついに調べることができて、行ってくることができました。山形ではなかなかお目にかかれない本格的なハード系パンを扱っています。パンが、すっごいおいしい!
画像を無事載せる自信ないので文字ばっかりですが、パンの一つ一つの香りがいい~~!
お店にはしっかりサインが書かれた「天然酵母パンの教則本」が置いてあるよ。

私はまだ全部を食べたわけではないけど、大納言、パン・オ・レザンがとりあえずのお気に入りです。
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今週は、前半はあっという間に過ぎたけど、後半はキツかった~。


2学期が始まって、私は思いがけず調子よく過ごしました。
1学期はとにかく辛くて、職員室でもしぃ~~~んとしていましたが、今はよくしゃべります。雑談大好き。しゃべりすぎ。
また、薬の副作用で、1学期~夏休みにかけて眠気がひどく、実は、そのせいで、運転中にサイドミラーを電柱にぶつけてしまいました。
危ないし辛いけど病状が悪いから薬を減らせないという状況が続き、とはいえ事故を起こすわけにもいかないので、無難な量・種類でちょびっとずつ減薬していて、そのおかげか、2学期はじめには眠気はだいぶ減っていました。とはいえ、それでも8月末には小学生をはねそうになるというひんやり体験をしていました。


火曜日、予約してた精神科に行き、眠気の話、調子がよいorよすぎる話をしました。私は元来、興が乗ればおしゃべりなんですが、1学期のひどい状況では、本当に本当に、話す気力も気持ちもなくて、辛いよ~と叫ぶ気力もほとんどなく、結果的に、しずかぁ~にしてた。でも回復した今は、よくしゃべる。しゃべりすぎじゃないの?との指摘も複数の職員からいただいていたので、そのことを医者に話しました。すると、医者が「そういうのは、本来のあなたなの?」と私に訊いてきました。私は「う~~~~ん、そうかもしれないし、しゃべりすぎかもしれないし・・・」と答えるしかありませんでした。結局医者は、調子がよいか、よすぎるのか、その判断は私に告げませんでした。そして2種類使っていた抗うつ剤の一つを中止し、1種類だけにしました。また眠剤は3種類使っていたのを2種類に、ただしそのうちの1つは量を倍にする、という塩梅に調整してくれました。
私は医者に「あの~、自分でハイだと自覚できるようなとき、私はどうしたらよいんですか?黙ってればいいですか?」と質問。すると医者はハハハと笑って「そうです」と返答。さらに私が「それは、黙っているという行為が私の病状によく働くという意味ですか?それとも、ハタメイワクだから黙ってろってことですか?」と訊きました。すると医者は「あなたのため。うつになったとき、1学期のような状況に陥らないため」と答えました。私は「ハイ、ハイ、本当に、あんな思いをするのはもうたくさんです。」と言いました。心底、ほんと、まぢ、ゴメンです。


そんなわけで、その晩から睡眠薬の変更が始まりました。その晩、いつものように入眠しました。ただし早朝覚醒があり、それは今日まで続いています。ンでもまた眠ればよい、という感じ。2度寝したあと、本格的に起きるときには多少キツいけど、まあ、健康な時でもそうじゃん、朝って。

翌水曜日からは抗うつ剤を減らして薬を飲み始めました。全体としては減薬したわけだから、これで調子が悪くなるようだったらヤバいぞ、即刻医者に行かなきゃならん、どうなんだ、自分?と、自分を観察しておりました。

で、その水曜日は、秋の遠足の下見をするために、ちょっとした山道を歩くという仕事がもともと予定されていたのね。ま、大丈夫っしょ~と思いながら山に行きました。久しぶりの山は、懐かしい山のにおいがして、気持ちよかったです。
ところが、山から戻ってきた私は、今までにない疲労感に襲われていました。こりゃヤバい、何日か引きずりそうな予感・・・山歩きをしたからか?薬の減薬のせいか?両方か?どっちだ、どっちだ?と問いかけながら、木曜日・金曜日を過ごしました。その2日間は、だんだん回復してはいたけど、結構キツくて、自主的に休息入れたりしながらなんとか乗り切りました。歩き方がお年寄りみたいになっちゃう。ヨボヨボしちゃうんですね。あまちゃんの夏ばっぱみたいに。

そして今日。今日こそ朝寝坊してやるぅ~と思ったのだけど、早朝覚醒して、う”~~んとかお”お”~~~とか言いながら布団の上でごろごろして、よし、と思ったので起き上がってみたら、それがいつもの起床時刻。得したような損したような?微妙な気持ちで今日の休日が始まりました。体に訊きながら、掃除したり、洗濯したり。をを~~なんか、主婦みたいだぞ、自分?
すると、午後からやはりダル~くなり、横になっていると今度は吐き気がしてきて、やっぱりまだ水曜日からある疲労は回復途上だな~と思いました。でも、夕方には収まるような気がして、横になってたら、思った通り、今夕方5時を過ぎたところですが、まあまあOKな感じです。今日はもう、ムリせずごろごろすべし、と自分に言っています。洗濯物、畳む?明日まで放っておこうかな~。畳んだら主婦っぽいぞ?だけど、明日まで洗濯かごに入れてほっとけばいいんじゃないかな。しわになる?ダイジョウブだよ~しわなんて気にせんよ。そうだ、ぶらさげたままにすれば最高じゃん。これが本心。


そうそう、今まで薬の副作用で困っていたんだけど、減薬の結果、副作用が見事に減りました。副作用というのは、冒頭でブツブツ言った日中の眠気と、もう一つ、手の震戦。
こりゃぁ快適。そうそう、普通はこうよねぇ、という感じです。
眠気がひどかったときにぶつけたサイドミラーは、ドン!と音がしてがくっと折れたけど、割れはしなかったし、8月にはねそうになった小学生も、自分の身が危険だったとはつゆ知らず、ふつ~に去っていきましたし。何事もなかったことに感謝。んでも、あ~恐ろしや。ああいうのはダメです。
手の震戦も、もうほとんどないです!震戦があると、文字がうまくかけなくて、もともと悪筆なのに震えが加わって、どえらい字になってしまうんです。今は、大丈夫。もともとバセドウの症状としての震戦もあるので、ちょっこし震えているのはしゃぁない。


明日・明後日の連休でさらに休んで、来週火曜日には完全復活!と行きたいところです。


あ、そうだ。うつの症状として、動悸ってのがあったんだけど、今はゼンゼンです。65/分。おンやぁ~、若いころ、バセドウに罹る前の状態に近づいているぞ(´ε` )




 

今日もネットの状態は不安定です。大量にたまっているメールもまだ受信できません。ウィンドウズのアップデートが終わらないんです。ブログのコメントにお返事するのもうまくいかないかもしれません、すみません。


以下は昨日ネットがつながっていたらアップしようと思っていた、昨日の気持ちを書いています。
大した内容ではないです。


では、ここから。



いや~・・・


あ”?なんだっけ?何か溜息つくような出来事があって、それを書こうとしたんだけど、忘れた(>_<)


前回のブログアップの後、またネットが全くつながらなくなり、またサポセンに電話したりしてました。


え~っと、今週はずっとどたばたしてて、今日ようやくNHKの「あまちゃん」を、月~木の4日分をまとめて観ました。
あまちゃんの放送が始まってから夏まで、あまり興味が持てなくて、観たり観なかったりを繰り返していましたが、私の調子がよくなったからか、ドラマが私好みな方向になってきたからなのか、よくわかんないけど、8月下旬あたりから、毎日観るようになっていました。でも今週はなんだかその時間がなくて、録画しっぱなしになっていたわけです。


今週月曜日の夜、あまちゃんのストーリーについて、ダンナから「いよいよ震災になった」と言われていたので、いよいよ来たな、とだけ思っていました。
私はダンナに「誰かが死んだり行方不明になったりするんだが?」と訊きました。
ダンナは「いや、みんな無事だ」と答えました。
私は「ンだら、あどで観っかな。これ以上人が死んだり辛え思いスたりすんなば見っだぐねぇがらな。」とつぶやきました。


実際観でみだら、津波ざぁ~~~のリアルな映像はねがった。そのかわり津波に襲われだ三陸の様子を、ジオラマみでぇなので表現すった。ちょびっど、トンネルを抜けたところに広がっていたリアルな被災直後の様子はあったけど、ほんの数秒だった。


ドラマでは「節電、デモ、風評被害、自粛、就任、解任、そして絆」ということばが挙げられていだげんど、震災当時、実際には、他にもいろんな言葉が飛び交ってだなっス。被災者、避難、フクシマ、原発、放射線、シーベルト、ベクレル、ガイガーカウンター、行方不明、死、遺体安置所、歯科医、DNA鑑定、泥かき、ボランティア、その他もろもろ。
ンだけンども、ほいずばドラマで言ってスまっだら、被災なさった方々には、エンターテイメントとして観るドラマとスては、辛すぎるってごどなんだド思う。うんど配慮が行き届いたドラマだとオレは思った。んでも、その後9時からのNHKニュースで、実際に被災された久慈市の方々がこのドラマをどう観だがを取材したものを放送すったっけげんど、やっぱス、観だくねぇような気持ぢだったどが、そうだどスても、日本中の人々にこの震災のごとば忘れねぇでもらうごどに意味があるみでぇなごどどが、このドラマを辛くても観るごどが、再建への第一歩がもスれねぇどが・・・。こう言っているオレは、この4日分のあまちゃんを観で、涙が出てきた。ドラマの震災の描写で泣ぐなんて、思いがけねぇごどだった。考えでみっど、オレ自身の震災体験もちょっこスあっげんども、それよりも、震災の前にオレを個人的に襲った、震災みでえな出来事と重なったのがもスんねぇな、と自己分析。


GMTが歌う「地元へ帰ろう」に「『ずもどさ、けぇっぺ』だべ」とツッコミを入れながら、引き込まれでだ。んでも、ダンナにその話ばすたっけば、ダンナは「だって、いろんな地方から出てきた人たちのグループだろ」と言った。そういえばそうだな、東北だげでねぐ、関東だの沖縄だの、いろんなどごがら集まったグループっていう設定なんだっけな。なんだが自分のごとしか考えでねぇ自分を発見。


それがら、上記のごどどは別だげんど、鈴鹿さんのこのセリフが、ちょっと私ば勇気づけている。


「向いていなくても、それでも続けるのも、才能よ」


なぁ~~んと、これ、オレのごどだな、ど。
幼稚園の先生としての適性はないように感じながら、辞められずに働きつづげるしかない、というか、今はそうするようにと神さまが決めたらしいオレへのエールだな、と。

実は夏休みに引っ越しをしました。
ブログではなくて、住む家の引っ越しです。

引っ越し先でネットがなかなか開通しなくて、今日は引っ越し後初めてのブログアップとなります。ずっとつながらなくて、サポセンに何度も連絡して対応してもらい、それでもだめだったので5日にまた工事をすることになっていたのですが、今帰宅してみたら、あれ、つながってるよ!?という感じ。
また切れるかもしれないです。不安定な感じかも。
ウィンドウズやセキュリティソフトのアップデートもたくさんたまっているはず。


PCにメールをくださった方には返事もできない状態で、不義理をしていると思います。ごめんなさい、すぐ開通する予定だったのですが、不具合が続いて今日まで続いています。今後安定するようだったら、お返事申し上げます。


この頃、外ではがっちゃん!うぃ~~ん!とものすごい音がしてました。実は小さな家を新築することになったんです。外でなっているのは私たちが住んでいた家を取り壊す音。
半壊した家を見たときは、安普請だったんだなあと改めて実感しました。断熱材が、ほとんどない!これじゃぁ寒いわけよねぇ。外に生えている草が家の中まで伸びてきたこともあったもんね。
地震で揺れるたびに、今度こそこの家崩れるか!?とか思いながら過ごした日々でした。


今は、私たちが20年近く住んだ家が跡形もなく消滅し、地面をさらしています。


貧乏を絵に描いたような私たち夫婦に、家を新築するなんてことがあろうとは、夢にも思っていないことでした。人生って本当にわかりません。神さまが下さった恵みに感謝しています。でも、新築が決まった6月ごろ、私はすごく調子が悪くて、大変な思いをしていました。こんな時期に家を建てるの?神さま、なんでぇ!?なにも今じゃなくてもいいんじゃないですか??せめて精神的にましな時にしてください!!と思ったりしていました。そんなんだから、引っ越し・新築に対して不安があるというか懐疑的というか、そんな気持ちになっていたので、このブログでもカミングアウトすることができませんでした。
医者に相談しぃ、薬盛ってもらいぃ、自分でできる努力としてはなるべく睡眠をとるようにしぃの、だけど不眠も症状だから眠れず、眠剤も増やしぃの、あとは職場の皆さんにお願いしていろんなことの面倒をみてもらいぃの、あとはほんと、祈る!そんな毎日でした。自分の面倒を見るので精いっぱいで、新しい家の間取りがどうとか、予算がどうとか、引っ越しのこと、あれやこれやの手続きなどを、考えることができない状態だったのね。そんなとき、すがる思いで聖書を読んでいたら、「主が建てるのでなければ、家を建てる者の働きはむなしい」ということばが心に留まりました。そうだよな~、あれこれ気に病んだって、自分でなんとかしようとしたって、結局だめなんだ。たとえ病気ではないとしても、自分の思い通りにしたって家ができてから、ああすればよかったとか、こうすればよかったとか、後悔することもいくつかあるはずだ、と思いました。だから、もうすべてダンナと神さまにお任せしてことを進めてもらいました。というか、自分が頼りない現実の前に、それ以外の選択肢はなかったんです。でも、キリスト教徒の端くれの私としては、「そうせざるを得ない」のと、「聖書のことばを信じてダンナと神さまにゆだねる」というのとでは、同じようでいて、実は雲泥の差です。実際、病状が落ち着いた今になって考えてみると、私があれこれ余計な口出しするよりよかったみたいよ。


そんな中で、私の車が壊れてしまったり、ダンナの車の車検が近付いて、見積もりとってみたら、壊
れてて車検通すには何十万というお金がかかることが判明したりして。私は中古の軽自動車を買わざるを得ず、ダンナの車は車検が7月いっぱいで切れて、今は車屋さんの代車にのって急場をしのぎ、買える中古車を探してもらっています。


引っ越しの荷造りはダンナと私とでしましたが、幸い夏休み中だったこともあって、ゆっくり準備することができました。でも、ラストスパートのときは、ドエラい汗かいたっけなぁ。


荷造りを進めるうちに、オソロシく古いブッタイがボンボン出てきました。うちのセンゾは近江から流れてきた商人とかで、江戸時代から七代続いた提灯屋、その後刀屋、骨董屋、金銀細工師と、時代に合わせて商売を替えて、その末裔がダンナということになります。その歴史を物語る古道具たち。アンティークショップに売れたものもありますけど、価値のあるものはほとんどなかったです。刀の砥石だの、箪笥だの、刀の鞘とかつかだの、骨董屋時代のものらしき瀬戸物の箱だの。箱だけなんです、肝心の中身はないのね。戦後は遠縁の親戚に騙されたとかでかなり貧乏したそうで、カネメのものはもうないってわけ。
いつの時代のものかわからない桐の箪笥がごろごろ転がっていましたが、ペンキが塗ってあったりしてほとんどは価値なし。亡きお姑さんは、部屋の模様替えとかが大好きだったそうで、箪笥にこげ茶だの茶色だののペンキを塗ったらしいです。箪笥には立派な金具もついていましたが、その金具にもしっかりペンキが。あと、アンティークショップのご主人が言うには、あまり大きい箪笥はいらない、とのことでした。つまり、大きすぎると買い手がつかないので商売にならない、だから引き取らない、ということ。一つだけ値段がついた箪笥がありましたが、これは新しい家で使うことにして、保管しています。
アンティークショップが喜んで持っていったものに、箪笥のカギってのがあります。じゃらじゃらと10何個もつづられていました。「こういうの(ほしいもの)が、こんなところにあるんだよな~」と言ってたそうな。うちとしては鍵だけあっても意味がないわけで、へぇ~~と一つ勉強になりました。あと、金銀細工の仕事に使った道具とかも、喜んで持っていきました。いずれも、たいした値段はつきませんでしたけどね。


昔の入院見舞綴りっていうのが出てきました。99歳まで生きて我が家で大往生したばあちゃんのもので、若いころに入院したらしいです。知らなかった。ばあちゃん、何の病気したんだろな?筆でデカデカと一人ずつきちんと書いてあります。昔はこうやって人付き合いを大切にしたんだなあと思いました。
私は会ったことがないダンナのじいちゃんが民生委員をしていたことがあったようで、その時にメモしたあれこれが書いてある小さなノートを発見。じいちゃん、今さらですが、ご苦労様でした。


箪笥の底に敷いてある新聞紙や広告紙は、お姑さんの代に敷いたものらしく、1970年~80年代ぐらいのものが多かったです。吉永小百合とかがすっごく若くてきれいに写ってたりとか。


「會布頒眞寫念記役戰露日」とかっていう写真が出てきました。日露戦争には一応勝ったことになってるもんね。た~~~くさんのお偉いさんたちが写ってました。伊藤公爵ってのが昔の千円札に載ってた伊藤博文らし。大河ドラマさながら。昔の男の人って全員ひげ生やしていたのかしらん。見覚えのある方がでかでかと写った写真も一緒にありました。誰だろう。明治か大正か昭和かの天皇じゃないかなぁ?戦争中はこれを拝んでいたのか?ワカラン。
あと、明治時代のものらしい家族の写真とか、あとは商売でつけていた台帳みたいなのとか、薬草事典とか。どっちも筆で直筆なんだけど、いつの時代のものなんだろう??
遺影とかも出てきました。見知らぬおばあさんの遺影があって、これ、ダレ?ってダンナに聞いたら、うちから嫁に行ったなんとかおばちゃん、とのこと。普通、遺影って嫁ぎ先にあるよね。どうして実家にあるわけ?と聞いたんだけど、ダンナが言うには、「嫁に行ってからもずっと仲良くしてたから」とのこと。う~ん、ムカシのことってワカラン。。んでも、つまり嫁いでからも実家の人たちに愛され続けたということらしいです。確かに、おばあさんなのにかわいらしい感じを受けます。いい人だったのでしょうね。会ってみたかったなぁ。


時って、過ぎ去るのですねぇ。
そして、私が生きている今も、私の人生も、同じように過ぎ去るのですよねぇ。


子どものころ、ばあちゃんが「み~んな、おんなじ。じゅ~んぐり。」と言ってたな。


そして、今私は、こんな聖書のことばを思い出しました。


「草は枯れ、花はしぼむ。
 だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」


あとは、じいちゃんの何かの証明書とか、ダンナや兄姉たちの子供時代の通知箋とか皆勤賞とか工作の努力賞とか水泳何級とか。価値はないけど思い出はある、という種類のものですね。これは大切にしまいました。


古銭も出てきました。たぶん江戸~昭和のお金です。とりあえず段ボールに放り込んで倉庫に入っているはず。価値あるのかなぁ。いや、ないと思うよ、あれば貧乏時代に売り飛ばしていたはず。


あと、私は若いころに小学校にちょっとだけ勤めたのですが、その時に子供たちからもらった手紙やプレゼント、そのあと幼稚園の実習に行ったときにもらったものなんかも出てきて、懐かしかったです。みんなもう社会人になっているはず。私、若かったなぁ。若いころって、知らないことがたくさんあった。バカだった。でも勢いがあった。コケても寝れば復活してた。

まだあれやこれやの辛いできごとも経験していない自分を思い出し、複雑な気分に。


引っ越しの準備をしていることをどこで聞きつけたのか、電話がかかってきて「金のアクセサリーなどはありませんか?ちょっとでもいいんです、もしあったらぜひ売ってください」という電話がかかってきました。そういうものはございません、と申し上げるしかなかったです。


仕分けの結果、恐ろしい量のごみを捨てました。私たちはごみ屋敷に住んでいたということになります。書類・本・食器・骨董屋時代の残骸・古い服・カセットテープにビデオテープなどなど。箪笥は解体する家に残してよいとのことだったので、そのまま。和服や帯は全部実家の母にあげました。使えるものはリフォームして洋服にするとか。帯はテーブルセンターとかにしかならないんだよなぁ、と言ってました。何十枚もできるよ!?どうすんの??ブ厚いのれんとか、いかがでしょうか???いらないか(>_<)


実際の引っ越しは8月13日に行いました。隣に引っ越すんだから、お金かけて業者にお願いする必要はないんじゃ?とか思ってましたけど、ムリしてコケたらもともこもないと考えて、結局業者にお願いしました。
いざ引っ越し作業をしてみると、自力で引っ越すなんて不可能だったと気づきました。当日来られた業者さんは屈強な男性が4人、そして4時間かかったんです。オッサンのダンナとオバチャンな私が二人でしたら、一体何日かかったことでしょう。いや、疲れ果ててブッタオれ、作業を終えることができなかったに違いないと思います。


仮住まいは、たまたま隣の家が空き家になっており、そこをお借りしました。空き家とはいえ、家財道具も全部そろってます。テレビから食器から爪楊枝のハテまでなんでもあって、大家さんにどうぞ使ってください、と言っていただき、大助かり。家には大きな倉庫がついていて、そこたくさん荷物を入れることができるという好条件です。なので、倉庫に我が家の荷物を突っ込んで、仮住まいの間は大家さんの家財道具をお借りして生活させてもらうという、なんともありがたい生活をさせてもらっています。もともと住んでいらした大家さんとはご近所づきあいさせていただいていて、格安で家を貸していただきました。「猫がいますが、大丈夫ですか?」とお尋ねしたら、全然大丈夫、気にしないでください、と言っていただき、ほっと一安心。なんとありがたい話。でっかい貸し倉庫と家財つきでペットOKの大きな家を安く借りたような感じです。
お風呂があっという間に沸くのに感動!湧くと「お風呂が沸きました」としゃべるのに驚愕!!トイレのふたが自動的に開くのにびっくり!!!仮住まいの家そのものは新しくはないけど、お風呂とトイレはリフォームしてあって、21世紀なのです。
大家さんが、「エアコンが壊れたから一番安いのをつけておきました」とおっしゃっていましたが、それがよく冷えるのなんの、空気がしゃっこい!いや~最近のエアコンってのは、すごいですねぇ。いや、うちのがあまりにも古かったのか、はたまたうちが隙間だらけで断熱もなにもなかったからなのか。


かりんが仮住まいになじんてくれるかどうか、心配していました。引っ越しの2,3日前から、荷造りの合間に連れて行ってみたり。いつもかりんが座ってたお気に入りのシーツがあって、引っ越しの時にはそれをかりんの毛がついたまま運んでおきました。やはり引っ越した初日は落ち着かない様子で、うろうろしながらあちこちのにおいをかぎまくっていたし、トイレにも行かなくて、心配しました。でも2日目には慣れてきたみたいで座って過ごすようになり、ウンもチッコもちゃんとトイレで済ませているのを確認しました。そして3日目あたりからかりんはシーツの上でうたた寝するようになり、今まで通り、ゴロゴロといいながら私たちに甘えるようになりました。よかった、慣れてくれたのかな~。
ところが、ふと気づいたら、かりんの目の上にハゲができて、少し腫れているのを発見。ハゲができた方の目の周りには目やにようなものが少しついているみたい。どうしたの、かりん!?やっぱり引っ越しのストレスなの??17歳のかりんには、酷なことだったのか・・・と心配していましたが、2、3日すると目やにも収まり、腫れの赤みも引いてきたようで一安心。毛は生えてくれるのかなぁ。生えなくても、かりんはカワイイ。そんなことを考えているうちに、点々と黒い毛が、ダンナの無精ひげの如くに生えてきたようです。


取り壊している家も、仮住まいの家も、どちらも全室タタミ&障子です。取り壊した家に住み始めた頃に河原で拾った毛玉みたいな子猫のかりんがうちの子になったわけですが、かりんが若かったころは、障子という障子をぜ~~~んぶ破いてしまい、私は大枚をはたいてプラスチック製の障子を前面に貼ったものでした。でも、18歳になろうという今、仮住まいでは、1か所だけ、もともと空いていた穴に顔を突っ込んで通り道を作っただけで、あとは障子には手を出さずにいます。かりんも本当に年をとりました。元気で一緒にいてくれることに感謝しています。ダンナも私も薬が手放せませんが、かりんは全然病院にかかっていません。かりんが一番元気&呑気。それに、私が具合が悪くて本当に滅入っていたときなんか、どれだけ慰めてもらったかしれません。


ネットはなかなか開通しなくて、ネットなしの生活を久しぶりに送っています。困るほどではないんだけど、書類や資料なんかをメールで送れないのがちょっと不便かな。ちょっとした調べものはケータイでしたので、ほとんど問題ありませんでした。


あと、実はケータイをシーツと一緒に洗濯してしまいました。前にも一度水ぽちゃしたことがあって、それはなんとか復活してくれましたけど、今回はもうだめだと思います。それで、実家の亡き父が使っていた古いケータイを倉庫の段ボールの山から汗だくになって探し当て、それを使っています。父は外で働く仕事をしていましたので、ゴツくて頑丈なケータイです。


大家さんはBSアンテナをつけているようで、前の家では見られなかったBSの番組を見ることができます。でも、これっていいのかな?アンテナ立ってるから受信できてるけど、ほんとは契約しなきゃならないとか、あるのでしょうかね?大家さんは契約を続けているのかな?今度確かめてみなくちゃ。


このようなわけで、私の調子が悪いとかボケツ掘ったりとかで物事が前に進みにくいということ
もあったけど、一方ではたくさんの助けがありました。


近況をざ~~~っとご報告申し上げました。


すでに2学期が始まっています。1学期は本当に調子悪くて職場の皆様のお世話になりました。2学期は具合が悪くならないように気を付けながら、慎重に生活しようと思います。
んでも、何に気を付ければいいんんだべ?医者は「仕事もシュミも適当にせよ」っていうけど、適当で済まされる仕事じゃないし。1学期は本当にヤバかった(>_<)職場の皆さんにどれだけお世話になったかわかりませんよ。
ガスオーブンは倉庫にしまいこんであるから、今までのようにパンを焼くことはできないです。というか、具合悪&引っ越しで、パンを焼く余裕もなかったんだよねぇ。趣味を適当にするというより、自分には趣味なんぞやってる余裕もかったというのが実情。趣味を楽しむような気持ち、人間らしい心の営みが失われるのがうつ病だってところ。


1学期は具合悪くて辛かったけど、いろんな助けもいただきました。シンドく、かつ、ありがたい経験でした。
2学期は、もう少し普通で穏やかな生活を送りたいなあと、せつにせつに祈っています。


以上、報告終わり。


あ”~~~~スッキリした~~~~


調子がいいからこそ報告ができるのよね。
これを維持したい。


調子のいい時は、調子に乗らないこと。
これ、病人の極意と悟り得たり。

私は夏休みに入ったせいか、
増やした薬のおかげか、
だいぶ楽になりました。

私の心を慰めてくれるのは、これです。

眠れない伯爵のためにバッハが作曲したという話もある曲。

疲れた心、傷ついた心を持った方が、
この曲を聞いて慰めを少しでも得られたら、と
思います。


             *    *    *  



3時半に覚醒しちゃって、その後は眠れませんでした。
今日の研修、居眠りしないようにがんばらなくちゃ。
こけっこのお気に入り

触れると揺らめきます





40歳は、惑う。
脳と心の交差点
こういちろうの雑記帳
kyupinの日記





ブログ中に頻繁に出てくる「NS種」というのは、上記にあるナンシー・シルバートン著パンの呼吸が聞こえる で紹介されている発酵種のことです。
この本、中古しかないみたい。残念だなぁ。


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自己紹介:
自家製酵母やイーストを使ってパンを焼くのが好き。



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